今季、一勝を遂げたい想いが成就 ベテランエンジニアと共に歩む16号車 ~Work behind the scenes vol.3 杉崎公俊 16号車トラックエンジニア~ | ARTA

2023.9.13

2023.9.13

今季、一勝を遂げたい想いが成就 ベテランエンジニアと共に歩む16号車 ~Work behind the scenes vol.3 杉崎公俊 16号車トラックエンジニア~

テキトーがモットー!あくまで“適度”を目標とするという16号車担当の杉崎エンジニアを今回はクローズアップ。
行き過ぎたりムラがあるという自己分析のキャラクターだが、そんな事は微塵も感じない。若いスタッフと共にスタートラインに立った今季、ドライバー、タイヤ、クルマなど全ての素晴らしいパッケージにタイトル獲得という使命を負わされたと強く感じたという。
シーズン折り返しでますますその重責を感じる中、第5戦鈴鹿のレース前にインタビューを行った。



―現在のお仕事の内容を教えてください。

杉崎:名前で言うとトラックエンジニアです。実際に16号車をドライバーとメカニック、みんなでクルマ1台を走らせています。

―日本でも屈指のベテランエンジニアのお一人だと思いますが、キャリアを教えてください

杉崎:実際やり始めたのは90年代からですね。エンジニアという立場で仕事をして、30年ほどの経験になります。これまでいろんなドライバー、タイヤメーカー、チームと共に仕事をさせていただきました。

―16号車は、どんなチームでしょう?

杉崎:見ての通りドライバー2人とも若くて、いやもう中堅なのかな?速いドライバーですし、2台共にスタッフがみんな若いというのが特色ですね。2台体制だからと言ってお互いがライバル視してギスギスしている訳でもなく、どちらかというと“和気藹々”とやっていく中でもしっかり速さを求めるチームです。ファミリー的な部分がありますが、そこの切り替えもきっちり出来ています。お客様や他のチームから見て、どう思われているかは少し気になるところではありますが。緩すぎる訳ではありません。
鈴木亜久里総監督とは、レース戦略については良く話しますね。確認の感じで話します。またドライバーたちとは、ドライバー目線で状況確認するなどして必ずコンタクトを取ってくれています。


―では、ドライバーのお2人は杉崎エンジニアの目から見てどんな方でしょう?

杉崎:福住選手は昔から…、若い頃から見ていて知っていて、フォーミュラでも一緒に仕事をしているのでドライビングスタイルや好みをよく話しています。その中でも彼の速さはズバ抜けていますね。大津選手に関しても、彼が以前のチームの時からドライビングを理解していますので、2人の好みはわかっていています。この前の予選を見ていただければ、2人の速さもトップクラスにあることがわかるので不満も何もないです。大津選手はタイヤメーカーがこれまでと変わりましたが、今のところ良いパフォーマンスを出していますので全く問題ありません。

今のチームの目標をお聞かせください。

杉崎:シーズンオフにこのパッケージ、タイヤ、クルマ、ドライバーでやると言われた時点で「タイトルを獲る!」という使命を負わされていると感じました。シーズンに入ってから、予選は良くてもチームのミスでここまで取りこぼしていてポイント的に苦しい状況ですが、まずは一勝を挙げて勢いをつけたいですね。これが今のところ第一目標です(第5戦鈴鹿ポールトゥウィン達成!)。今後もこのチームでやりたいことは沢山あって、一人ではできないこともあります。じっくりやってタイトル獲得にむけて頑張りたいですね。

ー今後のこのチームのご自身の持っている展望を教えてください。

杉崎:今年2台体制になって、たくさんの人が集まり大きな組織となって戦って行く中で、人数が多いが故の見落としもあります。そういったところは、既に洗い出しをして来ています。今後チャンピオンを獲るために、何かひとつ欠けてもタイトルは獲れません。どうしたらその欠けた部分がなくなるのか、既に見えてきているものがあるので、来年に向けて穴埋めをしていきたいと思っています。そして、確実に世間の下馬評通りのタイトルを獲りたいなと思っています。それは2台共にどちらでも獲れるようにと…、実力は絶対にありますので…。16号車のメンバーはこれまで一緒にやって来ている仲間がほとんどですので、ぜひ成し遂げたいですね。自分も経験を積んでいく中でこのチームで新たな発見もありますし、今後それをどう活かしていくのか自分でも楽しみですね。

ーでは、ここまでの杉崎エンジニアのこれまでの軌跡を伺いたいと思います!

杉崎:神奈川県の横須賀で生まれて、子どもの時にレースに連れていかれレースに興味を持ちました。それが富士の雨のグラチャン(富士グランドチャンピオンレース1971-1989)ですね。長谷見さん星野さんの時代です。そして、大学の工学部を卒業しニスモさんに入社しました。11年ほど在籍したのち、そこから独立してフリーになり2015年からHonda陣営の仕事に着手しました。

もともとメカニックをやりたい思いがありました。具体的には、日産のグループCカーのル・マン24時間のメカニックをやりたかったんです。日産に入社するのは無理だなと考えて、アメリカの日産の小会社に働かせてくれとアポイントメイトを取って行ってみたのですが、ここで働くには日産に入りなさいと言われました(笑)。やっぱり日産は無理だろうと考え、ニスモさんへ行きました。当時やりたかったメカニックは、経験がないと直にその仕事に就けなくて、自分はまず設計の担当になりました。そこでグループCカーの設計をやりながら、いつか現場に出られるだろうと頑張りました。亜久里さんは、ニスモの時に一緒に仕事をしていましたね。スカイラインで一緒に戦っていました。95、96年は近藤真彦監督がドライバーの時にエンジニアをしていました。入社3年目で設計も担当しながらやっていました。

当時は、部品を購入してつけるポン付けではなく、一つ一つ図面を書いて、発注して作ってそれがクルマにちゃんと付くのか、自分の頭の中のモノが3Dとなって作品になっていました。それがきちんと動作するのかとかそんな意識で仕事をしていましたね。

モノづくりも気づけば好きなんだなあという感じで、傍から見たら変態に映るかもしれませんが…自分ではそんな意識は全く無いんです。家に帰ってから、何か電気にしても機械、クルマにしても壊れてしまった時は、道具も全部揃っているし、結局面倒でも直しちゃうところがこういう仕事が活かされていて好きなのかもしれませんね。

ーご趣味は?

杉崎:バイクとキャンプですね。今は、バイクに乗る時間はあまりありません。キャンプは一人で行ってソロキャンプをしています。ドライバーやメカニックがいるキャンプの時もありますが、あくまでもソロキャンプと言い張っています。料理も作ります。ただ凝ってしまうと、作る過程とかいろんな道具とかに凝っちゃうのでキリがないんです。結果、美味しいものに辿りつかないんです(笑)。

ーご家族はレースのことを話したりされますか?

杉崎:家族と仕事の話は滅多にしないですが、家族はレースを見ていてくれて結果の話が出たりはありますね。子どもが小さい頃はサーキットに来てくれていましたが、あまり食いつきは良くなかったです(笑)。

ー過去に目標として目指した方はいらっしゃいますか?

杉崎:自分が師匠としていたのは、加藤祐二さんですね(2013年に逝去された名レースエンジニア)。やり方はチャランポランに見えてもちゃんと実績があって…。プロセスも大事で、結果が全てまでは言わないけれど結果があって…。ちゃんとした正攻法で年間何戦勝てるんだ?ということですからね。SUPERGTは8戦しかないじゃないですか。なのでいろんなやり方でレースして…。何か一つ欠けても勝てないですしね。加藤さんから学ぶところは沢山ありました。

ー最後に業界を目指す方へひとこと。

杉崎:まずレースに興味のある方は、どんな事でもやってみてください。どんなチームでもレースカテゴリーでも良いです。レースでも設計段階から入れるのか否かの違いはありますが、レースウィークの流れは、傍から見ている部分はほんの少しです。実際に携わってみると、違うこともたくさんあります。まずは、やってみて経験してください!

このインタビューのタイミングであった第5戦鈴鹿で、16号車はポールトゥウィンを成し遂げた。
まずは一勝したいと語っていた杉崎エンジニアのほっとした顔はこの目に焼き付けた。この勝利は、2台ともにいろんなパワーを生み出したに違いない。間近で見ている8号車にとっては特に…。こうして我々のチームは作られていくと感じた第5戦だった。ぜひ次のラウンドもARTA無限に期待していただきたい!

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