GT500クラス8号車を担当する一瀬は、GT500クラスのトラックエンジニアを今季初めて担当する。
大学を卒業後就職したファクトリーで、急遽パフォーマンスエンジニアデビューを果たし、その後、社会人2年目からトラックエンジニアに抜擢され早々に現場でたくましく育てられ、頑張って来たが故に得たポジション。そしてこの仕事が“天職”だと話す一瀬は、その人柄を探れば探るほど小気味良いほどクルマのことばかりの生活で、こちらが頭を抱えるほど仕事が楽しいのが想像がつく。この原稿を執筆中に、言いたいことがまだあったと声をかけられた。
サクッとスタッフ紹介を執筆していたつもりだったが、原稿の直したい部分に彼の仕事に対する情熱を感じた。文末に綴った業界を目指す若者たちへの言葉。今、現在、同じ志を持つ仲間をたくさん迎え入れたい気持ちが手に取るようにわかる内容となった。
今季の目標は「チャンピオン争いに加わること」。シーズンも折り返し、信念を持って戦っている彼を仕事以外の側面も含めて紹介しよう。
―まず、今やられているお仕事の内容を聞かせてください。
一瀬:今季から8号車のトラックエンジニアをしています。ドライバーの野尻智紀選手とは一緒に仕事をして来たので、また担当になることが出来てうれしいです。
―では、その野尻選手と大湯選手はどんなドライバーでしょうか?
一瀬:野尻選手は、繊細な部分が結構多いのですが、今はそれより「強さ」が光っていますね。言葉では今週ダメだなどと言うこともあるのですが、クルマに乗ってしまえば行ってしまう(良い結果を出す)というところがあり、強いです。
大湯選手に関しては、昨年も一緒に仕事をしていて、その時の印象は“ただ運転の上手いやつ”でした。言ったら怒られるかな?宇宙人チックなんですよ(一応遠慮気味に発言…)。宇宙人来たな…と当初思いました(笑)。今年は、変わったように思います。ちゃんと考えてドライビングをしていると感じますね。細かな所までクルマを深く理解し、周囲とコミュニケーションを取ることが出来て“日本語を話せる宇宙人”に進化しました(真顔)。大湯選手は、移籍しタイヤメーカーが変わりましたが、GT300クラスでブリヂストンタイヤを履いていた事があるのですが、今季GT500で履くことになっても、数周走っただけで“思い出して来た”と言いながらまったく問題なく乗りこなしました。その感覚が素晴らしくて、そこはとても尊敬しています。
―お仕事の環境はどんな感じでしょうか?
一瀬 :16号車と比較して8号車のメンバーは非常に若いですね。自分は32歳となり、8号車の社内スタッフの中では最年長となりましたが、両チームともチーフメカが若く彼らなりの“若いチーム作り”をしていますね。この良い雰囲気のまま、トラックエンジニアのやりたいことをわかってくれるメカニックをどんどん育て上げて、常勝チームに育って行ったら良いなと思っています。
シーズンの始めは、チーム体制が変わってバタバタしてしまいましたが、シリーズを生き残る為には結果を残して行かないといけません。タイトル争いにからんでいくことが今の目標です。私自身がGT500クラスを担当するのが初めてですので、その重責もあって自分が失敗したらと考えることもあります。失敗しないよう、先輩の教えで常にクルマのことを考えるようアドバイスを受けましたので、毎日考えています。家でもクルマのことばかりで、家内は「また上の空…(クルマの事ばかり考えている)」と思っている事でしょうね。まず、自分も含めみんなのレベルを押し上げていくと絶対おもしろいチームになるのではないかと思っています。
―業界、そしてエンジニアを目指した経緯を教えてください!
一瀬:岐阜県出身で、愛知県の理工系の大学を卒業しました。当時学生フォーミュラをやっていて、現在のSUPER GTの100号車を担当する星エンジニアからの繋がりでレース業界に入りました。最初に経験したメカニックの仕事は、テストなど数イベントをこなしただけで、ガレージがメンテナンスの台数も増え多忙になってしまい人手も足りなくなった事から、自分がエンジニアをやらないと仕事が回らなくなってしまったこともあり、データエンジニアというポジションの仕事がスタートしました。今思えばかなり恵まれていたと思います。なかなか1年目からエンジニアをやらせてもらう機会はないと思うので。
元々はレーシングドライバーを目指していました。それが難しかったので違うルートで業界に関わる方法を大学まで模索していました。レーシングドライバーになりたいと思ったのは、中2の頃。夜更かしをした時にテレビの地上波でたまたまF1をやっていました。当時は、ミハエル・シューマッハとフェルナンド・アロンソが争っていたくらいだったと思いますが、そこからF1を見始め、なんだこれ?かっこいい!とその魅力に惹かれて行きレーシングドライバーになりたいと思いました。中学時代の進路相談で、なりたいものは“レーシングドライバー”と真顔で答えていましたね(笑)。そんな夢を追いかけることからのスタートでしたが、中学生でレーシングドライバーを目指す事は遅いというのはわかっていました。だから、今も自宅にありますがシミュレーターをやり始めました。当時、自宅に数万円くらいのものでしたが必要な機材を揃えて、カラーボックスに5,000円のハンドルをつけて遊びながら学びました。レーシングドライバーになれないならエンジニアになるしかない!と方向転換をしたので、ゲーム内でスプリングを変えたりアンチロールバーを変えたらどんな感度が出て、ドライバー的にはどう感じるんだろうか?などと考えるようになり、その感覚を自分の中に持っていれば、いつかエンジニアとしてやっていけるんじゃないか!と思い始めました。そして、勝つためには“他の人より良いクルマを作れる素質”が必要であると思ったので、その為には知識を増やすことが大事と気づきました。中3の頃でしたね。勉強も慣れていない分野だったので大変でしたけど。
それと自分に影響を与えたことが高校時代にありました。物理学の先生が厳しいけれどとても良い先生で、物理のおもしろさを教えてくれたのです。斜面を下るものを引っ張ったらこうなる…というのを数式で解けるおもしろさにすっかりハマり、そこで自分の将来の方向性が決まりました。両親ともに文系なんですけどね。レーシングドライバーがアウトインアウトで走るのは、何でだろうということを物理的に説明してみたいとか、そんなことを今も自宅にあるシミュレーターで子育てしながら考えています。またシミュレーター…と家内は思っているようですが、これは仕事だからと言いつつ…。
―脳内クルマだらけのようですが、ではご趣味は?
一瀬:シミュレーターですね~。シミュレーターで耐久レースもしています。マシンに乗ってない時はそこでエンジニアをやっています。クルマ以外の趣味はないです(キッパリ)。今の仕事は「天職」だと思っています。
ー最後に業界を目指す若者へアドバイスをお願いします!
一瀬:我々の仕事は、レース業界ではありますが、多種多様ある一般的な企業と変わらないと思います。問題が起こった、それを何か推論を立てて解決しようという、どんな企業でもやっていることをこの会社でエンジニアリングという枠で仕事に取り組んでいます。今、大学でやられている研究の内容はさまざまあると思いますが、その研究の延長上にあるのが今の仕事であると思っていて、すごく難しい事でもないように思います。文系理系あると思いますが、心配せずに業界に入って来て欲しいですね。仕事の種類はエンジニアだけではなくマネージャーの仕事もありますし、種類は沢山ありますので。それと、市販車とはまた違いますが、レーシングカーに関するモノづくりなどをぜひ学んで欲しいんです。外側からだとわからないと思うので、まずは飛び込んできていただきたい。
最後にひとつだけ…、土日出張が多い事だけがネガティブな要素ですね。もしあなたが男性だとしたら、今、彼女がいたら少しかわいそうな想いをさせてしまうかもしれません。サーキットに行ってお休みが合わなかったりしてしまうので…。まずは、業界そして我々の門戸を叩いてください!お待ちしています!
~スタッフから見た一瀬~
日本のトラックエンジニアとは、基本的に自分が絶対という思考と立場で仕事をしていると思うのですが、一瀬の場合は、どんな意見も絶対に耳を傾けます。我々無限のエンジニアがみんなそうなのかもしれません。昔はどうだったかは知らないですが、現在社内に5人のエンジニアがいますが、一瀬が32歳で最年長です。フランクで話しやすいし真面目だけれど、おもしろい人だと思いますね。
彼の間近で仕事をするパフォーマンスエンジニア小池氏の一瀬エンジニア考…でした。
一瀬自身も32歳という若さ。彼も含め若人が真摯に仕事に取り組めば、1+1が3にも5にもなる日が来るのだろうという、そんな日がいつか来るのを楽しみに ARTA無限を応援していただきたい!
続く!
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