2022年1月、GT300クラスのARTA55号車で若手ドライバーの“先生役”を長らく務めてきた高木真一がチームを離れることが明らかになった。そしてその後任となったのは、長年GT500クラスで活躍してきた武藤英紀。彼は良き“アニキ”として、SUPER GT参戦1年目の木村偉織を支えながらシーズンを戦っていった。
「木村選手が気持ちで落ちることがないように、ということは意識していました。普段のやり取りから、出来るだけ緊張のないように、のびのびとやってもらえるように、と思っていました」
ただそんな武藤自身も、シーズン序盤はGT300クラス車両への適応に手を焼いた。車両は慣れ親しんだNSXと言えど、GT500の『NSX-GT』とGT300の『NSX GT3』は全くの別物。自らの身体に染み付いた走らせ方を変えることは容易ではなかったようだ。
「GT500はダウンフォースに頼って走るので、どちらかというとコーナリングのボトムスピードを上げて走るようなイメージです。GT300はダウンフォースが少ないけど車重はあるので、どちらかというとコーナリングというよりはブレーキングでタイムを稼ぐというイメージですね」
「感覚としては、(GT3でも)コーナリングスピードを高く維持しようという走りに自然となってしまっていました。コーナリングスピードを上げようとしても、ダウンフォースと車重の関係でうまく曲がれないという感じでした。これだけスピードを落とせば十分かなと思っても、もう少し減速しないといけなかったりとか……」
今季からNSX GT3にはエボリューション版のアップデートが施されたが、その点も武藤と木村を苦しめた。お互いNSX GT3に関する知見が十分でない中、アップデートによるキャラクターの変化をチームと共に掴みながら、そこに合せたセットアップ、タイヤ選びをしていく必要があった。そのため前半戦の55号車ARTA NSX GT3は予選で下位に沈むこともしばしばあった。
そんな中でも55号車は、安定したレースペースに定評があるブリヂストンタイヤの恩恵を活かし、決勝でトップ10に食い込む速さを見せたが、開幕戦岡山と第2戦富士では木村の接触により後退。第3戦鈴鹿では辛くも1ポイントを獲得するが、第4戦富士、第5戦鈴鹿は立て続けに電気系統のセンサー系トラブルに見舞われるという苦しいレースが続いた。
噛み合わないレースはその後も続き、雨の第6戦SUGOは優勝争いに絡むもペナルティに泣き7位、第7戦オートポリスは上位走行中にタイヤバーストに見舞われた。もてぎでの最終戦を前に獲得ポイントはわずか5と、ここ数年タイトル争いに絡み続けてきた55号車らしからぬリザルトとなっていたが、第5戦以降は毎戦予選トップ10に食い込むなど、調子は確かに上向いていた。
「チームも自分と木村選手の走りの特性に合わせてくれるようなクルマ作りをしてくれましたし、後半戦にかけてはクルマのバランスも仕上がっていたと思います」と武藤は振り返る。そして迎えた最終戦、55号車はポールトゥウィンというこれ以上ない形でシーズンを締め括った。
武藤にとっては、実に16年ぶりとなるSUPER GT優勝。GT300クラスでは初優勝となった。ルーキーの木村はポールを決めた後号泣し、優勝した際も喜びを噛み締めていたが、武藤は至って冷静であった。
「個人的には意外と冷静というか……周りの人やファンの人が喜んでくれているのが嬉しいなという感じでしたね」
昔なら、もっと心の内から込み上げてくるものがあっただろう……。実は武藤はかねてより、自らの心境の変化を感じ取っていた。そんな彼は、自分がSUPER GTという国内最高峰の舞台で戦うのはこれが最後になるだろうと感じていた。
「第一線というか、張り詰めた空気感の中でレースをするのはこれで最後かなと思っていました」
「今後は自分が楽しいと思えるレース、やりがいを感じられるレースに出場したいです。もちろん、出るからには勝敗が大事だと思いますが、目を三角にして走るようなことはないかなと思っています」
「今年は育成の一環で若い子の面倒を見る立場でしたが、それは楽しいしすごくやりがいのあることです。ただそれは必ずしも自分が乗りながらする必要もないという結論に達しました」
SUPER GT参戦100戦目で、まさに“有終の美”を飾った武藤。今後もモータースポーツを愛する者として、開発ドライバーやアドバイザー等の仕事を通して貢献していきたいとのこと。彼の第2のキャリアにも注目したい。
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