ARTAで戦う者たち——。彼らは人生のある時にレースの世界で生きていくことを志し、喜びや悲しみ、悔しさなど、数え切れないほどの感情を経験して、国内最高峰とも言われるSUPER GTという舞台にたどり着いた。
そんな彼らのキャリアには、転換点“ターニングポイント”となった出来事が存在する。あの時の、あの出来事がなければ、自分はこの世界に飛び込んでいなかった、もしくはここまで登りつめることはできなかった……そういった経験が誰しもあるはずだ。今回は55号車の木村偉織に、自身のターニングポイントについて聞いた。
「あえて言うと、今年がそういう年になればいいなと思っています」
そうはにかむ木村は、今季からSUPER GT・GT300クラスへ参戦したルーキー。ホンダのドライバー育成プログラム『フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)』の一員としてスーパーフォーミュラ・ライツ(SFL)にも参戦しているホンダ期待の若手ドライバーだ。
そんな木村も、トントン拍子で現在の地位を得られた訳ではない。
鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダレーシングスクール鈴鹿)のフォーミュラ部門では、2018年、2019年と2年連続でスカラシップ選考会まで駒を進めた。資金的な理由で満足な練習もできない中、木村は毎回“ぶっつけ本番”で速さを見せていたが、どちらもスカラシップを獲得することはできなかった。ちなみに、2019年に首席となって翌年から海外へ羽ばたいていったのが、現在FIA F2で活躍する岩佐歩夢だ。
木村は海外挑戦こそ叶わなかったものの、2020年はHFDPから日本のFIA F4に参戦することが決まっていた。しかしコロナ禍に見舞われたことでHFDPが活動を休止したため、木村はレース活動を1年休止することになってしまった。
「レースがうまくいかなかった時のために」と通っていた大学でも3年生となり、周りは就活を始めるようになっていた。木村も就活を検討したというが、「自分はレースがないと楽しくない。レースしかない」と思い、プロを目指す意志を強固にした。
木村の“就活”は翌2021年に始まった。晴れてHFDPからF4に参戦し、4勝を挙げてランキング3位。その活躍が今季からのSFLとGT300参戦に繋がった。 今季がターニングポイントになれば……そう語る木村のSUPER GTでの1年目は、彼自身の持つ課題が顕在化したシーズンでもある。木村本人も「プロドライバーという領域に足をかける中で、自分の足りない部分が多く見えた」と、ここまでを振り返る。
開幕戦と第2戦は、共に他車への接触でペナルティ。先日SUGOで行われた第6戦でも、ウエットコンディションの中で他車とのマージンをうまく築けず接触。ドライブスルーペナルティを受け順位を落としてしまった。予選などでは光る速さを見せながらも、レースでは“粗さ”が出てしまっている形だ。第6戦のレース後、パドックで相手チームに謝罪する木村は沈痛な面持ちであった。
とはいっても、木村も自らの課題を自覚し、少しでも改善しようと様々な面で意識改革や順応をしている最中であり、その中で自身の成長を実感している。
「今まではどちらかというと、ただ攻めるだけというレースをやっていました。『どういう状況でも常にフルプッシュしなきゃ負けなんだ!』と思っていたのが前半戦でした」
「もちろん、クルマをゴールまで持って帰ることが大前提だとは分かってはいたのですが、速さを見せてアピールをしたいという気持ちが強すぎて、自分自身の気持ちをまとめきることができていませんでした」
「SUPER GTはF4と違って周回数も長くてドライバーのレベルも高いので、簡単なメンタルゲームで片付けられるものではありません。ゴールまでの長い道しるべを考え続けないといけません。走りの中で、どこまでが“及第点”なのかなど、そういうところを意識するようにしています」
「まだまだ行きすぎちゃってるところもあるとは思いますが、今は比較的守るべきところと攻めるべきところの区別がついてきていると思います。今までがむしゃらに速さだけを求めていたところから、賢さというところも学んでいる段階です」 いずれは海外カテゴリーに挑戦したいと語る木村。英語も堪能でコミュニケーション面では問題なし、あとは自らの走りでその力量を証明するだけだ。「内容は少しずつ良くなって来ているので、(今季が)来シーズンに繋げられるようなターニングポイントになれば」と語る木村の残りレースでの活躍にも注目だ。
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