BRIGHT FUTURE AHEAD 「確かなる手応え」
GT300クラスを戦う55号車ARTA NSX GT3にとっては、ベテラン高木真一の突然の負傷離脱という想定外の苦難に直面してしまった。それでも前戦もてぎから代役加入した松下信治が最終戦にもステアリングを握り、新たな風をチームに持ち込んでくれることになった。高木も富士に姿を見せ、チームにアドバイスを寄せる。僅かに残るチャンピオンの可能性に向けて、やれるだけのことをやるというのがARTAだ。
だが大湯都史樹が乗り込みフリー走行を走り始めたところで異変が起きた。
大湯「エンジンがおかしい、全然吹けない! バラバラ言ってる」
土屋「戻って来れそうか?」
岡島「どこからおかしくなった?」
大湯「300Rあたりで『あれ?おかしいな』って思ったけど、その手前からバラバラ微かに言い出してました」
エグゼクティブアドバイザーの土屋圭市もレースエンジニアの岡島慎太郎も慌てたが、ガレージに戻ってきたマシンをチェックするとエンジン交換が必要であることが判明し、予選に出場することが叶わなくなってしまった。
メカニックが必死の交換作業をこなし、最後尾から決勝に臨むことになった。
まだ2戦目の松下がスタートドライバーを務める。とにかく抜いていく。そしてタイヤ交換をできるだけ抑え、ひとつでもポジションを上げる。やれるだけのことをやるしかないのだ。
土屋「この2周のフォーメーションでフロントにしっかり熱入れて! 頼むよ!」
最後尾29番手から走り始め、1周目で6台抜き、5周目までに19位まで浮上。そこからさらに順位を上げていく。
リアタイヤの温度が上がるとオーバーステア傾向が強くなってくるが、タイヤ交換の本数を2本に抑えてピットストップ時間を短くすることを戦略に組み込んでいるだけに、タイヤをいたわることもしなければならない。
さらにはマシンによってストレートの初期加速や最高速が異なり、ストレートが長い富士スピードウェイではオーバーテイクにも様々な工夫が必要になる。
松下は土曜に全く走ることができず、まだ不慣れなARTA NSX GT3ながらそれを使いこなしていく。
松下「かなりオーバーステア。どこでもかしこでも。タイヤセーブしないといけない」
岡島「了解。前のクルマはストレート速いけどジェントルマンドライバーだから気をつけて抜いていこう。タイヤは2輪交換を検討中」
松下「分かってる、かなり速いね。ちょっと考える」
やがて周回数が進むにつれてフロントタイヤのグリップが低下してくると、前後のグリップレベルのバランスが取れてマシンのハンドリングが向上してきた。オーバーステアが抑えられないならリア2輪だが、このフィーリングなら左2輪交換でも良いだろうと松下はフィードバックしてきた。
松下「今フロントのグリップが落ちてきた。だからバランスはあってきた」
岡島「左2輪交換が良い? それともリア2輪交換が良い?」
松下「左2輪」
岡島「OK」
土屋「ノブ、ペースはトップと変わらないよ」
松下「最初よりは良くなってきた。左2輪かリア2輪かは任せる」
岡島「了解、予定通り左2輪でいく」
予定通りの周回数でピットに入り、松下から大湯にドライバーチェンジ。
ピットアウト直後は交換したばかりの左だけが温まっていないため慎重なドライビングが要求されるが、大湯はそれを難なくこなし、1周で1つずつポジションを上げてくる。
土屋「大湯、左が温まるまで気をつけろ!」
岡島「ちょっとでもリアを滑らせちゃうとオーバーヒートするから気をつけて」
大湯「右側のタイヤも結構タレてるね」
土屋「タイヤカス気をつけろよ、踏まないように。セクター3は特に」
岡島「前のクルマよりペースが良いから、その調子でペースを保って。ストレートもウチの方が速いからね。最終コーナーをなるべく車速が稼げるように立ち上がってこよう」
岡島は常に前後のマシンとのギャップとペースを無線で大湯に伝え、大湯は着々とポジションを上げてくる。
岡島「今ポジション11、前の61号車までギャップは10秒」
大湯「何秒くらいで走ってるの?」
岡島「38秒9、大湯は38秒8。第1スティントの後半は41秒台まで落ちていたから、最後はキツくなるよ。このペースをキープして頑張ろう、後半追い付くよ」
大湯「もう結構熱ダレしてる」
土屋「でもペース悪くないよ、速いヤツらとペース変わらない」
大湯「できる限り頑張ります」
岡島「今ポジション9。前とのギャップは13秒」
39周目にはついにポイント圏内の8周目まで突入。さらにひとつでもポジションを上げるべく、大湯は前を向いてプッシュし続ける。
岡島「前は11号車に変わった。1周1秒速いから、10周あれば追い付くからね」
大湯「了解!」
岡島「残り9周、前とのギャップ4秒」
大湯「フルプッシュ、ここで攻めるよ、ラストラン!」
残り2周、大湯はさらに1台を抜いて7位へ。
ここでタイムアップとなり、チェッカードフラッグを受けることになった。
最後尾からスタートし、2人で22台を抜いてきた。ARTA NSX GT3には速さがあっただけに、上位からレースを戦うことができていればという悔しさもある。
しかし、自分たちの置かれた状況の中でやれるだけのことをやり切った。その充足感もあった。
岡島「チェッカー、ポジション7。最後尾からよく7位まで挽回できた。良いレースだったね」
土屋「ノブもお前も22台抜き、良いレースだったよ、お疲れ! よく頑張ったよ」
大湯「お疲れ様でした。エンジン載せ換えてくれたメカニックの皆さんもありがとうございました」
GT500クラスを戦い最後までタイトル争いに加わった8号車と同じく、55号車ARTA NSX GT3もGT300クラスで頂点を争う力を証明してきた。土屋エグゼクティブアドバイザーも、そのことははっきりと分かっている。
「無観客で7月から開幕して急ぎ足で11月まで来ましたが、最終戦を終わってみて、お客さんが応援してくれて、我々も力をもらいました。また来年面白いレースが見せられるようにオレ達も準備していきたいと思います」
これまでにない不運や苦境に直面し、頂点という目標を達成することができなかった2020年シーズンだったが、その目はすでに新たな挑戦へと向いている。