THE FIRST VICTORY「涙の初優勝」
悔しさばかりのシーズン。勝てるはずなのに勝てないシーズン。
GT500クラスを戦う8号車ARTA NSX-GTにとっては、どうしても勝ちたいという気持ちを持って第7戦の舞台ツインリンクもてぎにやってきた。これまで決して得意とは言えなかったもてぎだが、切実な思いによる準備の甲斐あってか、マシンはかつてないほどのドライバビリティの良さを見せた。
2戦連続ポールポジションを獲得している8号車は、ウェイトハンディが半減となり周囲が速さを増す中でも福住仁嶺のアタックでブリヂストン勢最上位となる2番グリッドを獲得してみせた。
決勝のスタートドライバーは野尻智紀が務める。
冷静に2位をキープして走り、タイヤが温まってきたところでペースアップ。首位を走る同じNSX-GTの64号車を追い詰め、10周目のターン1で捉えてトップに立った。
ディングル「グッジョブ! グッジョブ!」
マシンの仕上がりが良いだけに、レースエンジニアのライアン・ディングルは基本的に野尻のフィーリングに任せて戦況を見守り、必要最小限の状況を伝えるだけに留める。
ディングル「後ろは100号車に代わりました。ギャップは5.5秒。野尻のペースの方が0.5秒速い」
野尻「了解」
野尻は快調に飛ばして2位以下を引き離して10秒以上のギャップを築いてしまった。
ディングル「今ペースはすごく良いけど、次のスティントは同じタイヤでいける? それともハードが良いと思う?」
野尻「ペースが良いんだったらこれで良いよ」
ディングル「了解」
23周目にGT300クラスのマシンがコースサイドに止まり、セーフティカーが出動するかどうかという状況になった。
セーフティカー導入となればピットインできなくなるが、その前にピットインすればタイムロスが丸々ゼロになる。
8号車はバックストレートを走っている。ピットレーンの入口まではあと数秒。
ここでディングルが咄嗟の判断で動いた。
ディングル「入れます、野尻BOX、BOX!」
野尻「ピット入るよ!?」
ディングル「BOX、BOX!」
野尻がピットに飛び込み、福住にドライバー交代。
ディングルの読み通り、その直後にセーフティカーが導入された。
ディングル「SC、SC」
福住「これ、普通に走ってて良いよね?」
ディングル「今SCがコースインしました、このまま普通に走っていて良い。ウチと64しかピットインしてない」
福住「タイミング的には良かったの?」
ディングル「超良かったです。ウチはポジション1で、ウチと64だけがほぼ1周のギャップになります」
福住「ていうことは、実質64とだけ戦っているということ?」
ディングル「そうです、64とだけ」
福住「落ち着いて行きましょう!」
ピットインしたことで8号車は一旦集団の後方に回ったものの、セーフティカー解除と同時に各車がピットインし、8号車が再びトップへ浮上。レース状態でピットインした8号車と64号車以外は1分後方に下がることになった。
これで優勝争いは実質的に2台に絞られたが、福住のスティントが長くなっただけに燃費の心配もあった。
ディングル「予定よりも1周速くピットインしたので、このSCで問題なくなるとは思うけど、燃料カウントはたまに聞いていきます」
福住「了解です」
福住は64号車をどんどん引き離してギャップを広げていく。
ディングル「後ろとのギャップは5秒、仁嶺のラップタイムは1秒速い。64の後ろのギャップは1分。なので無理しなくても大丈夫です」
そうはいっても、これまでに何度も勝てるレースを逃してきた。鈴鹿では前走車に追突もした。不運やミス。勝てそうで勝てないレースを強いられてきた不安が脳裏をよぎる。
福住「今どのくらい余裕あるの?」
ディングル「後ろとのギャップは8秒、残り24周。ペースは64より良いし、結構余裕はあるよ」
福住「3位とのギャップは?」
ディングル「52秒」
周回が進むとGT500クラスの周回遅れに追い付きつつあり、彼らとの交錯を避けるために少しペースを落としても構わないというくらい後方とのギャップは充分にできた。
福住「あと何周?」
ディングル「残り12周。後ろとのギャップは28秒。6秒前に500のトラフィックがいてあまり追い付きたくなので、このギャップをキープ。あっちは45秒台なので、44秒台後半をキープできると良いね」
福住「了解」
外から見れば淡々とトップを独走し続けているように見えた福住の8号車だが、いつ何が起きるか分からないという不安の中で走る福住自身にはこの上なく長い周回に感じられた。それだけ今まで幾度もの不運やミスによってチャンスを逃してきたのが今シーズンのARTAだった。そして今季GT500クラスデビューを果たした福住にとっては、それが心にのしかかる極めて大きな重荷になっていた。
だが、今回は誰にも止められなかった。
速く、強く、トップで63周を走り切り、チェッカードフラッグが8号車に振られた。
ディングル「仁嶺、おめでとう〜! 優勝です! すごい! グッジョブ! しかも選手権も5位に上がりました」
福住「ハハッ、嬉しい〜! 最後は本当に長かった……。ライアンも初優勝でしょ?」
福住の声はもう涙にくぐもっている。
エンジニアのディングルの目にも涙が浮かんでいる。
ディングル「そう、こんなに嬉しいのは人生初かもしれない……すごいよ」
福住「本当にありがとう、ありがとう……」
不運に見舞われながらも第5戦から3戦連続の表彰台に立ち、気付けばこれでトップから僅か3点差のランキング5位に浮上した。つまり、最終戦富士でタイトル獲得の可能性が目の前にはっきりと見えてきた。
ディングル「Unbelievable, mate.(信じられないくらいすごいよ、仁嶺)チャンピオンシップでもトップから3ポイントしか離されてない」
福住「知ってるよ。頑張ろう、みんなで!」
大きな感動とともに、2020年の新生ARTAは大きなハードルを乗り越えた。
そして最後の決戦、得意の富士へと挑む。もっともっと大きな感動を、見せてもらいたい。